目次
昨日の錦織選手の試合、ご覧になった方も多いかと思います。
みなさんは、どんな印象、感想を持ちましたか?
今回も、書かせて頂くのはあくまで、私自身の感想であり、考えです。
異論反論、あって当然。
「何かが足りない」と、試合後に語った錦織選手。
その何か、に、みなさんのテニスのヒントも隠されているはずです。
「あと、1本」は、地球の裏側くらい遠い
1.遠い、とにかく遠い
惜しかった、確かに惜しかった。
それはスコア上、数値上での話でしょう。
0-40でブレイク出来なかった第3セットのゲーム、確かに惜しかったのかもしれない。
でも、あの時ジョコビッチ選手がキープした瞬間、私は大きな喪失感のようなものを覚えました。
惜しかった、そうじゃない。
このブレイクは、果てしなく遠い。
本当に、地球の裏側くらい遠い・・・と言えば、大げさかも知れませんが。
2.相手が更に上げて来る、だから惜しい場面も実は惜しくない
もし仮に、あそこでブレイク出来ていれば、勝てたんじゃないのか。
そう考える方も、多いと思います。
私も、そう思いたい。
でも、あと少しの差に見えて、やはりそれは大きな差であるように感じます。
手が届くところ、までいけば、また相手はどんどんギアを上げて突き放していく。
マラソンのゴールではなく、相手は人間。
そのゴール地点は、手が届きそうになった瞬間に、遠のいていくものなんです。
それは、「ゴールが動いていく」からなんです。
3.観客を味方に付ける、応援されるという重要性
もう1つ、私が感じたこと。
せっかく、ジョコビッチ選手が乱れ、審判や観客とのコミュニケーションも悪化している時に、錦織選手はどうだったか。
もっと、観客を味方に出来る、試合を面白くしていくような演出が出来たと思うんです。
「応援されることが、当たり前」と感じるようになったら、それは選手として終わりが近いということ。
私は、あえて言うなら錦織選手の甘さはそこだと思います。
試合に勝っても負けても、大きな収入源がある。
応援される、自分が良く報道されるのが当たり前だと、どこかで感じているからハングリーさが無い。
ボールを打つ技術だけの大会、があれば、彼に勝てる選手はそういないでしょう。
ですが、テニスという競技は、違う。
一人の人間が、数万人の観客とTVの向こう側の応援を背に、戦う競技なんです。
もっともっと、自分を高めて応援されるようにならないと。
4.プロでも無いのに、応援される選手に?
「うちらは、草トー大会に出ているだけなのに?」と、思う方も多いでしょう。
誰かに応援される、そんな感覚はなかなか持てない。
でも、客観的に自分の試合を見返してみて下さい、思い出してみて下さい。
「応援したい」と思えるような試合、振る舞い、態度、雰囲気、そこにありますか?
もし、アナタ自身がそこで「応援したい!」と思えるような試合が出来ているなら、間違いなく強くなれる。
なぜなら、その応援したくなる空気全体が、相手へのプレッシャーになる。
自分にとっては、「負けられない理由」になるからです。
戦いは、ウィンブルドンだけじゃない。
今週末の日本全国のコートでも、熱い試合はたくさんある。
私たち自身、見直していかないといけない部分だと思います。
近いようで、遠い。
勝てそうで、勝てない・・・というのは、客観性が無い。
まだまだ、錦織選手もそうですが、私たち自身も勝ちたい選手との差は、あるんだと。
それは、地球の裏側くらい、遠いのかも知れない。
でも、一歩踏み出せば、そこに近づける。
応援してくれる人、がいれば加速していく。
テニスは、1人で戦い続ける競技じゃない。
多くの人から見られ、感じてもらい、仲間になって応援されながら続けていく競技、です。
この記事へのコメントはありません。