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みなさんは昔、体育の授業ってどんな感じでしたか?
大体小学校時代と言えば・・・跳び箱、鉄棒、マット運動。
そんな感じだったと思います、今は違うのかも知れませんが。
この体育が苦手・・・だと、なかなか大人になってもスポーツをやろうという気にはなれないですよね。
でも、私はこう思うんです。
体育とテニス、実は全く別モノじゃないかなと。
体育嫌いな人、こそテニスって向いているかも知れませんよ。
昔体育の授業が苦手だったらかと言って、テニスも苦手とは限らない
1.体育の授業、思い出してみると・・・
私が思い出すのは、例えば跳び箱のとき。
一列に並んで、みんなで飛んでいく。
踏切版でジャンプして、飛べる子はどんどん段数を上げていく。
飛べない子は、一番低いところから上がっていけない。
これって・・・どうなんでしょう、なんだか本人の「壁」みたいな感じで何も楽しくないですよね。
しかも、跳び箱って実は「低過ぎる」のって、逆に飛び辛い。
そのあたりも、特に先制は考えることなく低い=簡単、高い=難しい、という感じで並んでは序列をつけていく。
成功、失敗か、しかない世界。
これではみんな、体育で運動嫌いになって当然だと思うんですよね。
2.跳び箱の向こう側、に行けば良いんじゃない?
体育ではなくスポーツって、本来自由な自己表現。
表現、と考えれば、別に跳び箱は飛ぶだけじゃなくて、その上で踊ったって良い。
その道具を使って、何かを表現すると考えれば、何段飛べたか、しかも決まった形で・・・なんてナンセンス。
もし、跳び箱の「向こう側へ行くことが成功」と考えるなら、色々な方法があって楽しいですけどね。
当然、基礎となるジャンプ力や脚力、身体の動作は練習する必要があると思いますよ。
でも、自分でやり方を選ぶ、決めていく、ということが体育の授業では圧倒的に少ない。
そう考えると、私は戦い方を自分で選べるテニスという競技は、面白いと思っています。
体育が苦手だから、きっとスポーツ、テニスも苦手?
それって、すごく視野が狭い考え方ですよ。
3.自分のテニス、自分で決めてきましたか?
私は、今回書きたかったのはこれです。
自分のテニス、みなさんは自分でしっかり、自己決定出来てきましたか?
色々な選択肢の中から、環境やプレースタイル、戦術、全てアナタ自身で決断して今がある、と言えますか?
もちろん、選べないものもあるでしょう。
学校にテニス部は一つしかない、コート面数も少ない、大会自体が開催されていない・・・。
でも、それはそれ。
アナタ自身が、どんなテニスをするのか、目指しているのかは、きっとアナタの決断次第でどうにでも変えていける。
ほとんどの方が、どこか小学校の「体育の授業」みたいになっているんじゃないかなと。
私はそう感じてしまうんですよね。
4.嫌いだけど、体育の授業は楽だったかも
一列に並んで、順番に課題をこなしていく。
出来た、出来ない、が分かったうえで自分に合った練習が用意されている・・・。
まぁ、ある種のテニススクールみたいなものですよね。
これってやっぱり、楽なんですよ。
自分で考えなくて良いですし、出来ないことは出来ない、でそのままでも誰に迷惑をかける訳でもない。
体育の授業、のようなテニスの練習はどこかで脱却していかないと。
つまらないけど、楽な練習。
これが一番、テニスの上達を阻害するモノですから。
5.体育が出来なくても、テニスが上手い人の特徴
これは、色々あると思いますが・・・まずは「駆け引き」が上手い人、好きな人、ですね。
それから自分で勉強して、工夫していく人もテニスに向いています。
体育の授業で跳び箱を飛べなくても、こういう人ってテニスに向いていると私は思いますよ。
もっと言えば、テニスの試合に向いている。
どこかショットは不格好でも、試合になると強い。
そんな人は、結構昔は運動、体育が苦手だったという人が多いように感じます。
私の願いは、シンプルです。
テニスをする人、がもっと増えて、出来るだけ健康な人が増えて欲しい。
死ぬ直前まで、自分の足で立ってコートを走り、黄色いボールを追いかけていたい。
きっとそれが、周りにも社会にも迷惑をかけない、ピンピンしているのに急にコロッと死んでくれる、良い「終わり方」だと思うんですよね。
すごく不謹慎ですが、その為にも、「体育が苦手だったら、テニスやっても上手くならないよ・・・」と思っている人には、誤解を解いていきたい。
ふとそんなことを考えてみたので、書いてみました。
取り留めの無い文章になってしまいましたが、秋は一番身体を動かしやすい時期ですからね。
寒さケアをしっかりしながら、テニス頑張っていきましょう!