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テニスを長く続けていると、こんな言葉を聞く機会がありませんか?
「私は競技思考ではないので、楽しめれば良いんです」
「私はとにかく試合に勝ちたいので、楽しむだけの人とは違います」
近しい言葉を聞いたこと、きっとあるんじゃないでしょうか。
例えば10人くらいのレッスンだと、こういうみなさんが混在している。
目的も違うから、なかなか自分にとって納得できるようなレッスンではないことも多い。
と、感じる方も多いと思います。
T-PRESSは、それで言うところの競技思考の皆さんのためのメディアなのかも知れません。
でも、でも…です。
突き詰めて考え過ぎずに、柔軟になりませんか?
こういう言葉に囚われすぎると、結果的に自分を苦しめてしまうことにもなると思います。
エンジョイ思考、大嫌い!
だったんですよ、私は。
「テニスは趣味で楽しみたいので」という言葉を聞くたびに、20代の私はその人を軽蔑していたような気もします。
「保険かけてるだけじゃないか」と思ってました。
エンジョイ思考だから、どんなプレーをしても良いしそもそも向上意欲がない。
勝つためのプレー、セオリーなんて面倒臭いし、覚えたくない。
気持ちよくボールを打っていれば良い、と考えている人なんだなと。
そうやって勝手に壁を作っていたように思います。
もちろん、そんな時代があっても良いんです。
尖った時代にしかできない経験もありますし、人の思考は自由ですから。
でも、ある時気づいたんですよね。
「本当にテニスを楽しまないと、上達は難しいんだな」と。
エンジョイ思考と思って人を軽蔑してたけど、競技思考という自分に勝手に甘えていただけじゃないか、と。
試合になると、結局楽しんでいる人には勝てなかった。
そんな苦い思い出もあります。
何が言いたいかと言うと、そんな2つの極端な思考に人間は分けることが出来ない、ということなんです。
中間で良い、それを否定しない
悪く言えば、中途半端。
でも、それって悪くないのかも知れません。
例えばエンジョイ思考の人でも、勝負に熱くなる人はいる。
仲間内の練習でも、負けたら悔しいと思う。
それって自然なことですし、エンジョイ思考の中でも競技思考の部分がある、ということですよね。
競技思考の人でも、たまには普段と違うプレーを取り入れたり、緊張の糸を解いてプレーした時に新しい発見があったりする。
この柔軟性がある人は、結果的に試合にも強くなっていくような気がします。
両極端で簡単に人を決めつけるのは、楽じゃないですか。
でも、人間ってそんなに単純なものじゃない。
テニスって、そういう競技だと思います。
「あの人は、競技思考だから」
「あの人は、エンジョイ思考だから」
そんな感覚を持ってしまう時は、まず自分を疑いましょう。
決して良い方向には向いていない時、だと思います。
それが洞察力に繋がる
読者の皆さんには、最終的に強くなって欲しい。
試合に勝てるようになってもらいたいし、成功体験を積んで良い人生を歩んでもらいたい。
そう考えると、何かを決めつけるって自分が楽したいだけ。
何かを恐れているから、結論を急いでいるだけ。
人はそう簡単に、測れないですよ。
試合に強い人って、洞察力が凄い。
何度も自分に問いかけながら、相手をよく見ている。
試合の中でも変化していく相手を、受け入れることができる。
そんな能力は、試合の現場だけでは身につきません。
普段の生活、オンコート以外での思考が大事になりますよね。
簡単に決めつけている時は、黄色信号。
思い込んで実は違う…という時に、試合に負けることも多いと思います。
まずは身近な人から、「○○思考」と決めつけるのをやめてみる。
勝負に関心がないと思っていた人が凄い執着心を持っていたり、その逆も然り。
ヒントは皆さんの身近にこそ、あると思います。
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