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最近改めて、私自身が感じていること。
人にアドバイス、どこかで「何となく」になってはいないか、ということ。
テニスだけじゃないと思います。
何かを、ハッキリ伝えるのには勇気とリスクがいる。
責任も伴う。
でも、だからこそ意味があるものになる。
曖昧なアドバイスだと、結果的に負の効果しかないように思います。
一緒に、生きるか死ぬか
は、あまりに大袈裟ですけど
「これをやってみましょう、そして一緒に心中しましょう」
くらいの意識、で良い。
本当に大袈裟ですが、これくらいの温度感でアドバイスをもらえたら、みなさんどうでしょうか?
「いや、これは本気でやってみないとな」となりますよね。
曖昧ではなく、ここまで言われたら。
正直、テニスのアドバイスもこれくらいじゃないと。
やる生徒さん本人の意識、が何も変わらないですからね。
曖昧にしたいのは、逃げ道作りの為
でしかないです。
実際に、私がそうでした。
「〇〇だと思います」
「〇〇をやってみましょう、ダメなら…」
悪いアドバイスでは無いかもしれないですけど、心中とはえらい違いです。
どっちが良いのか、よりもどっちが生徒さんに響いて、結果的に良くなるのか、を考えましょう。
どこかで、「本人次第」で諦めていない?
これは、自戒を込めて。
私は何度も、「みなさん次第です」と書いて来ました。
当然、今もそのスタンスです。
でも、それだと「じゃあアドバイスは全部、何なんだよ」となりますよね。
自分自身、最後はみなさん次第だけどアドバイス自体は曖昧にしない、それこそ心中しても良いくらいの覚悟で、このブログで伝えたい。
諦めているような雰囲気、を出していたんじゃないかと。
最近気づいたので、今日この内容で書かせて頂いています。
言葉は、本当に伝わらない
曖昧になりがち、なのがテニスのアドバイス
本当に、難しいですよね。
みなさんも、コーチからのアドバイスを聞いて「これだ!なるほど!」と思う機会は年に何回ありますか?
きっと、少ないと思うんです。
それくらい、結果的に曖昧になりがちなんです。
それは先ほど書いたメンタル、想いの強さのような部分もありますし、表現力の部分もあるでしょう。
とにかく、曖昧になりがち、ということだけは意識しておかないと危険です。
不安になると、勘違いが始まる
曖昧なアドバイス、で不安になる。
「これは、こういうこと?どうなんだろう…間違ってるのかも…」と、なりますよね。
そうなると、もう自分で考えてやるしかない。
だけど、それがコーチのイメージ、伝えたいことと違うとそれは「勘違い」になってしまう。
往々にして、こういうケースはありますよね。
不安になっているけど、その不安を見せないようにと必死になりますからね。
全てが、悪循環になる
結局、曖昧なアドバイスはこうなります。
どちらも、何となく違うかな?と思いながら続いていく。
教える側が、決意が足りない。
どこかで、生徒さんのことを信用していない、信じ切れていないと、アドバイスは曖昧になり迷わす一番の要因になる。
ハッキリ伝える、それで良いじゃないですか。
失敗したら、また変えれば良い
ただし、本気の失敗に限る
これが、毎回の基本です。
しんどいです、実際。
でも、そうじゃないと「曖昧なアドバイスでの失敗」ばかりになるんですよね。
これ、意味あると思いますか?
無いです、絶対に。
本気でアドバイスして、本気で失敗するから、「じゃあ変えてみようか」が効く。
テニスの成長だって、これが基本ですよ。
どちらかが本気、ではダメ
温度感が同じ、にならないとダメ。
アドバイスは、結果的に曖昧になります。
教える側、教わる側、がそれぞれに自立した個人であり、熱量が近しいこと。
その温度感が、近しいこと。
この環境さえ整えば、もう後は大丈夫。
全ては本気でやりあえる、本気の失敗で強くなれる関係になれているはずです。
鍵は、アナタが握っている
「でも、そんなに熱いコーチはいないしな」
「テニススクールだから、それは無理な話です」
というみなさん、自分の手のひらを見て下さい。
鍵は、アナタ自身が握っているんです。
その鍵で、曖昧なアドバイスを打ち破る扉、を開くしかない。
本気で本音で、コーチに接してみる。
曖昧な態度を示していたのは、もしかしたらお互い様かも、と気付けるかどうか。
ここが本当の鍵、ですね。
曖昧って、楽ですか?
曖昧にしている関係って、ふとした時にガクッと来ます。
テニスが上達しない、不安、勝てない、どうしよう…。
もう、今日で1月も終わりです。
もう一度、今年をどう生きるのか、テニスと向き合うのか。
コーチのみなさんも、一緒に考えてみませんか?
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