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周りと比べて、自分が優れていることは何か?
これを考えて試合を組み立てる、テニスを考えてみることは、皆さんも何度か経験されたと思います。
私も、特に30歳を過ぎてからすごく考えるようになりました。
テニスだけではないです。
普段の仕事から、「自分は何が特別なんだろう?」と。
まるで思春期のような感じもしますが、皆さんもきっと経験あると思います。
そこで気づいたこと、感じたことを、今日は正直に描いてみたいと思います。
私自身の話ですのでどこまで参考になるか分かりませんが…テニスの試合で勝ちたい、と考えている皆さんなら、どこか感じるものがあると思います。
自分の武器とは、「経験値」だ!
幸運なことに、私はテニス界で色々な経験をさせてもらいました。
審判からラインアンパイア、大会レフェリーから学連、テニス雑誌での仕事。
そこで出会えた方、経験できたことは、すごく自分にとって自身にもなりましたし、今でも多くの方に支えられてこのT-PRESSの活動もできています。
そう、自分はある程度特別な経験をさせてもらっている。
だからテニスについての知識も豊富だし、観察眼にも優れている。
そう思うようになり、それを武器にして自分のテニスの試合も戦おうを考えてました。
自分より少しくらい実力が上の相手でも、なんとか「はめて」倒すことができるだろう、と。
実際にそういう試合もありました。
でも、35歳を過ぎたくらいから、こうも感じるようになりました。
「経験とは、本当に武器になるのだろうか…?」と。
テニスだけではなく、人生においてもそうです。
自分が成功体験だと思っていることは、本当に武器になっているのだろうか…と。
実はその経験自体が、足枷になっているのではないか。
これに気付くのには、本当に時間がかかったと思います。
自分の武器は、勝手な先入観で作られる
私は自分がテニスにおいて、「経験、知識は誰にも負けない」と思っていました。
もちろん、選手としての経験はたかが知れてますよ。
でもそれ以外の部分、たくさんの選手を見て分析してきた、ルールも知識も詳しい…でもそれって、本当に武器になるの?と。
私がそう気づいたのは、ある試合に逆転負けを喫した時からです。
どこか、先入観で相手を決めつけるような癖が自分にはある、そしてその癖は非常に強い。
テニス以外でもそうです。
「あの人は、ああいう人だ」「この人はこういう人だから、仕方ない」と、すぐに諦める癖が自分には強い。
それは正直、今でも変わっていないところはあると思います。
すぐに人を決めつける、これは経験から来るものできっとそれは正しいと。
自分の中で勝手に正当化しているだけ、逃げいているだけ。
これでは、自分の武器ではなくただの弱点にしかならない…と感じるようになりました。
どうでしょう、皆さんも近い経験あると思います。
人間ですから、そこを責めてもしょうがない。
大事なのは、それをどう受け入れるかだと思います。
経験を否定することは、自分を否定することではない
自分の経験から来る感覚を、否定してみる。
これは、非常に勇気の要ることです。
無意識ではまずできないでしょう。
なぜなら、今までの自分の経験を否定するような感覚になるからです。
経験値を積んできたつもりが、実は先入観の塊を作っているだけだった…なんて、受け入れ難いじゃないですか。
でも、その節は絶対に否定できないはずなんです。
私は、自分の経験上すごく感じます。
でも、一旦その鎧を脱いでしまうと、楽ですよ。
周りの意見も聞けるようになるし、自分が自然体になれる。
テニスもより伸びやかになるし、小さなことに新しい発見も見えてくる。
自分には経験がある、でもそれに囚われることは不幸である、と。
どこかで分かっていても認めたくなかったこと、を認めてみる。
それに気づかせてくれたのも、テニスであり私の周りの人、そして試合という場だと思っています。
だから、という訳ではないのですが、やはりテニスは試合が面白い。
試合を通じてでしか見えてこないもの、自分自身というのがそこにはあると思います。
苦しいことも多いと思いますが、社会人の方ほど時間を作ってぜひ試合や大会に挑戦して欲しい。
T-PRESSではそんなみなさんを応援すると共に、富田もよりがんばります!
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