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テニスを続けていると、何度となく「センス」という言葉を耳にします。
あの人はセンスがある、無い、みたいな話。
私も、学生時代は「センスが欲しいなぁ」とずっと思って来ました。
そして、それは生まれつき持っている人だけの特権、だと思ってました。
そんなことは、思い違いでしたけど。
センスとは、即ち合理性
1.センスのあるプレーとは?
例えば、テニスにおいてどんなプレーでしょうか?
ドロップショットやドロップボレー、のようなタッチ感覚が求められるようなショット、をイメージする方が多いでしょう。
全般的に、ネットプレーで「センスが求められる」と考えている人も多いですよね。
でも、これって私は結果論だと思っています。
結果的にセンスが良い、と思われているプレーがあるだけ。
それはつまり、合理的なプレーでしょう。
2.センス良く攻撃しているようで、避けているだけ
私も30を過ぎてからは、ネットプレーを増やして相手の前のスペースを使うテニス、になって来ました。
そこでドロップボレーとかを使うと、「センスありますね!」と言われるんですが、何も難しいことをしているつもりは無い。
センス良く攻撃しているつもり、もありません。
むしろ、何かを避けているような場合が多いんですよね。
例えば自分がローボレーで、相手のポーチが怖いからアングルに落とす、ようなボレー。
これが結果的にセンスが良いドロップボレー、と呼ばれるようになる。
何が言いたいかと言えば、センスが良いプレーとは、合理的で無理の無いプレー、だということ。
一部の人しか出来ないような感覚に頼ったものではない、ということです。
3.見ていて無理のないテニスは、合理的なテニス
これは、テニスを長く続けてきて感じることです。
見ていて無理の無いテニスは、合理的なテニス。
ストロークでもサーブでも、ボレーでもそうですね。
センスが良い、と言われる人たちのテニスって力が入っていないし、無駄を削ぎ落している。
怪我も少ないでしょうし、1日何試合も出来るようなプレー、なはずなんです。
これは、私たちが目指すところ。
センスという言葉を、もっと紐解いて客観視してみて下さい。
きっと、そこに先天性なんて無いはず。
4.派手なプレーは、センスでも何でも無い
たまに、こういう勘違いをする人もいます。
派手なプレー、人がやらないようなプレーが出来る人が、センスが良いと勘違いしている人。
こういう人との試合は、楽ですよ。
自分が納得出来るプレーをしたら、もう試合終了な感じですからね。
こういう選手、にはなって欲しくない。
センスを勘違いすると、テニスって怖いですから。
センスの有り無し、について自分なりの意見を持っておく。
そうすると合理性、という言葉に落ち着くと思いますよ。
本当にセンスがあるな、と感じた人がいたら、とにかく真似ること。
そこから、アナタ自身が成長していけるはずです。
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