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突然ですが、自分の名前について考えてみました。
私の下の名前は、「直樹」と言います。
だから何だ、という訳では無いんですが、正直同世代にこの名前が多すぎて(笑)
下の名前で呼ばれることも多いんですが、ありきたり過ぎてあまり好きではなかった…というのが、30歳くらいまで。
それから先は、結構自分の名前も悪く無いかなと思うようになってきました。
その理由について、今日は書いてみたいと思います。
素直である、という武器
自分で言うのも恥ずかしいんですが、改めて感じること。
「素直である」という事の重要性に気づいたのは、実は最近のように思います。
だって、昔は素直であることに抵抗があるじゃ無いですか。
何かを聞いたらとりあえず反発してみる。
私の育った広島という街は、それが当たり前だったように思います。
でも、テニスに対しては昔から「素直」な自分がいたような気がする。
もちろん、納得できないことや悪いこと、後悔するようなこともたくさんしました。
でもそれは、当時の自分が一番良いと考えてやったことなんですよね。
だから、それはすごく今でも誇らしいんです。
素直であったからこそ、たくさん苦労もしたし成長もした。
それは、読者の皆さんもきっと一緒だと思うんです。
素直である、そんな自分を認めることって最高の武器になります。
テニスを通じて得ることができたた経験って、この素直さがベースにあったように思います。
愚直たれ
元々私は、自分自身で器用な方だったと思います。
ある程度そつなくこなす、それで得ることができた評価もありました。
でも、結局それって薄っぺらいものなんですよね。
器用に立ち回っても、結局何も残らない。
それは、T-PRESSを運営していてつくづく感じることです。
もっともっと、愚直で良い。
直樹=愚直、と考えます。
それこそこのブログを一番更新していた頃の方が、自分自身良い発信ができていたように感じます。
今の世の中、つい「見た目や目に見えるもの」だけを見てしまいがちじゃ無いですか。
私は先日の記事にも書きましたが、今年は逆に「目に見えないもの」こそ大事にしていきたい。
愚直に、テニスに向き合いたい。
それを笑う人もいれば、つまらないと離れていく人もいると思います。
それで良いんです。
皆さんは、どうですか?
T-PRESSの運営者の一つの考え方に過ぎないですが、これって実はこれからの時代の本質なんじゃ無いかと思ったりしてます。
そして、真っ直ぐでなくて良い
愚直であろうとすること、それは時に疲れます。
自分に正直になんて、そんな生きられないですよね。
偉そうに書いてますが、私だってそうです。
テニス以外で言えば1人のサラリーマンですから。
真っ直ぐでいないといけない、という固定概念は自分を苦しめるだけ。
曲がって良いし、伸びなくても良い。
でも、自分の中で大事にしたい部分については、器用である必要はない。
そう、自然体で良いんだと思います。
自然に樹が伸びていくように、自分が楽しいと感じること、満たされることに目を向ける。
読者の皆さんに向けて書いているつもりですが、自分に対して言い聞かせているような内容になってきました。
テニスも、同じです。
愚直に、自分が楽しいと思えることに、決断していく。
2022年は、そんな一年でも良いんじゃないですか?
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