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「代表」と聞くと、みなさんは何を想像しますか?
サッカーの日本代表、オリンピックも近いですし、国を代表するという選手を応援したいという方は多いと思います。
日本という国、でなくともテニスを通じて「代表選手」になることはみなさんの身近でもあると思います。
部活で言えばレギュラーメンバーは学校の代表ですし、地域の代表やテニススクールの代表として戦う、そんなのもスポーツの醍醐味であり、魅力です。
「まぁ、自分には縁の無い話だな…」と、思う方もいるかもしれません。
そんな方に、今日は私から伝えたいことがあります。
少し私自身の話で恐縮ですが、きっとみなさんの為にもなると思い書いてみたいと思います。
中学・高校時代の話
私自身は広島県の出身で、土地柄仏教の浄土真宗という宗派が盛んでした。
私の実家もそうでしたが、中学からいわゆる仏教・浄土真宗の教えを主軸とする学校に通うことに。
そこまで宗教色は強くないんですが、年に数回行事があったり、授業の前には瞑想の時間があったり、「宗教」という道徳に近いような授業があったり…。
学生の当時は、とにかく面倒に感じていました。
授業の前に瞑想したら、そのまま寝てしまうだけじゃないか…と。
ですが、本当にちょっとしたことなんですが、大人になって気付くことがあります。
人生について、テニスについて。
実は、仏教から学ぶことも多いんじゃないかと。
「代表」という概念についても、改めて感じることが多くなりました。
「生かされている」自分に気付く
誰しもが、生きていくうえで必要なこと。
それは、当たり前ですが「命を頂く」ということ。
日々の食事で、周りの命を多く頂いて生きていくということ。
これを学生時代にすごく教えられたんですが、正直ピンとは来なかったです。
でも、今になって思うんですよね。
毎日食事させて頂く中で、生き物の命を頂くということはどういうことか。
それは、「自分が代表して生きる」ということに他ならないんです。
自分が生きていく為に、たくさんの命は失われている。
「そんなの人間だけじゃないし、当たり前じゃないか」と思う方がほとんどだと思います。
私自身も全然、気にしてませんでした…20代までは。
でも、最近はすごく感じます。
「代表して生きているなら、託された命の分まで頑張らないと」と。
アナタ自身が、既に代表選手
そうなんです。
みなさん自身、一人一人が代表選手。
多くの犠牲の下に、生かされている奇跡的な存在だと思います。
何だか胡散臭い話に聞こえるかも知れませんが、テニスの試合や大会で辛い時に、ぜひ思い出して欲しいんです。
自分は簡単に負けて良い選手じゃないんだ、と。
代表して生きている、生かされているんだから、やり抜かないといけない。
学校の代表でも地域の代表でもないかもしれない、でも自分はたくさんの命の上に成り立っている存在なんだと。
こういう意識が持てれば、きっとテニスだって変わるはずです。
感謝の気持ちを持つ、そこには理由が必要です。
そう、このブログを読んで頂いてるみなさんはそれだけで奇跡的な存在なんだと。
それを頭に入れたうえで、必死に戦って負けるならしょうがないじゃないですか。
結果的にテニスのルールで負けただけで、みなさん自身は敗者ではありません。
代表選手として戦い抜いた、勝者でしょう。
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