目次
よく、テニスの上達には「センス」が大事だと言われます。
確かに、センスという言葉で表現出来る部分、感覚の良し悪しや、育った環境や持って生まれた運動神経、というのは大事だと思います。
ですが、ほとんどの人の話を聞いていて感じるのは、「自分が出来ないのを、ただセンスのせい」にしている人が多いということ。
その考え方って、センスが無いと思うんですよね。
「テニスはセンスが無いと、上手くなれない」といっている人こそ、考え方のセンスが無いと思う
■「センスが無い」んだったら、磨けば良いんじゃない?
センスが無いと嘆いている暇があれば、磨いてみる努力をしてみてはどうでしょうか。
そもそも、運動神経が良い人、ジュニアって、遊び感覚で小さいころからボールに戯れて、ボールの扱いが上手くなっていくケースがほとんど。
この世に生まれて、何もしないで才能だけでスポーツをやって結果が出ているような人、私はほとんど知りません。
もしかしたら、そんな人もいるのかも知れませんが、きっとアナタが観てる「センスの良い人」って、本人の努力の賜物なんだと思います。
■何でも「センスのせい」にしていく、センスの無さは深刻
センスが良い人、実際にはいます。
タッチ感覚というか、特にボレーやポジショニングで天性の才能を見せてくれる人、一般の方でもいますよね。
ですが、そんな人でもどこかに「特徴」であり「ルーツ」があると私は思っています。
感覚が研ぎ澄まされているなら、その要因は何なのか、きっかけは何かあったのか。
ボレーのタッチが優れているなら、「何」が具体的に優れているのか。
絶対に、試合で倒すチャンスはあるはずです。
■センスが良い相手、よりもセンスが無い相手、のほうが試合では対戦したくない
これは私だけでしょうか。
センスのある相手、よりも無い相手、テニスに愚直で試合に対して最後まで諦めないような相手のほうが、対戦していて嫌です。
「下手の横好き」という言葉もありますが、好きこそモノの上手なれ、です。
粘り強いし、テニスに真摯に向き合う相手のほうが、試合していて厄介だし強い。
センスが良い人って、何でも出来る器用貧乏になってしまう傾向にあることも多い。
試合だと、付け込む隙があるはずです。
「あの選手、センスが良いなぁ」と感じたら、チャンスだと思うこと。
一つは、そのセンスの良さが試合での弱さに結びついて勝てるチャンスがある、という点。
もう一つは、上手いと思う技術を「具体的に細分化していく」ことが出来る、チャンスがあるということ。
見た目にもキレイなテニス、実は非常に合理的で無駄の無いテニスであることが多い。
そして試合の本番では、絶対にセンスのある相手を倒しましょう!