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今回、T-PRESS CUPの大会を開催させて頂く旨、先日告知させて頂きました。
大変嬉しいことに、3/9(水)の大会には10名の方にエントリー頂き、久々に第3回の大会は開催できそうです。
改めて、今回の記事では私がなぜ「学生が1,000円でエントリーできる大会」を作ったのか。
そして、T-PRESSの活動の基盤に据えるのかをお伝えしたいと思います。
大変暑苦しい文章になりますが、今しばらくお付き合い頂ければと思います。
体育の教員になりたかった高校時代
以前にも記事で書かせて頂いたと思いますが、私の高校時代の夢は体育の教員。
体育の教員として母校に帰ってきて、テニス部を強くする。
正直これしか考えてませんでした。
でも、ある時に意識が大きく変わります。
まぁそれも、本当に自業自得なんですけどね。
高校3年生の体育の授業中に、感じたんです。
結局体育の授業って、運動が好きな人が目立って主体的やって、高校にもなれば先生も知らん顔。
小学生の頃は、逆上がりが出来ない子も先生は面倒を見てもらえたと思います。
でも、高校はそんな感じじゃない。
やりたい子はやる、やりたくな子はやらない。
体育ってそういうもんでしょ、という暗黙の了解があるようにも感じました。
それを自分自身強く感じて、「これは一人の教員になっても、何も変わらないな」と感じていました。
同時に感じた、インターネットの可能性
私が高校を卒業したのが2001年、まさにインターネットが隆盛を極めようかという年でした。
何となく、自分自身が高校生で感じていたこと。
それは、「学校の先生にならなくても、きっと学生と関われる時代が来る」ということでした。
そうなるなら、むしろ「教員」という肩書きは無い方が良いのかも。
もちろん、日本中に熱心な教員の方はたくさんいますし、部活動に熱心なみなさんには頭が下がります。
でも、本当に自分らしい活動、生き方、哲学を実現するにはどうすれば良いのか。
私自身、今の活動のベースにはこの学生時代の自分自身の葛藤があったからこそ、だと感じています。
インターネットがあれば、自分のスタンスで学生と関われる。
同時にそれは、無限の可能性を秘めているかもしれない、と。
テニスの試合を習慣に
学生の皆さんは、今大変な時代を過ごしています。
本当に、たくさんの学生らしい活動が出来ない、制限されている。
楽しみにしてきたことが出来ない、思い出が作れない。
これは、私たち大人にとっては計り知れない重みがあると思います。
どんなに足掻いても、15歳、16歳の自分には戻れない訳です。
後からその時代の経験をする、なんて出来ない。
そこに救いがあるとすれば、私が出来ることはテニス、なんです。
テニスを通じて、何かを残す。
テニスを通じて、学生の皆さんに何かを感じてもらう機会を作る。
これは、T-PRESSの視聴者の皆さんを抜きにしては出来ない。
テニスの試合を習慣にできる人が増える、まず学生時代からレベルを問わずそういう人が増える、ということ。
だからこそ私はT-PRESS CUPという大会を開催したい。
1,000円で3試合以上して、社会人になってもラケットを握り続けて欲しい。
こういうメッセージは、T-PRESSの根幹にあるべきものだと感じています。
読者の皆さんも、すでにこのチームの一員です。
やっぱり若い芽を育てていきたいじゃないですか。
体育の教員になりたかった私の道楽に、もう少しお付き合い下さい。
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