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私は、カミングアウトさせてもらうと非常に見栄っ張りです。
いつも、周りからどう見られているか、を気にしている。
最近はそうでも無いですが・・・高校、大学時代は、本当にそんな感じでした。
そしてどこか、怯えていた。
皆さん、今日はこのテーマで考えてみませんか。
自分を「上手く見せよう」というテニスは、もう止めにしませんか?
1.自分の敵は、自分
試合中、対戦すべきは相手・・・。
なのに、アナタはつい自分のことで頭が一杯になりませんか?
「なんでこんなミスをするんだ・・・」
「今のは良かったな・・・」
「調子が悪い・・・どうしよう・・・」
これって、試合に勝つ負ける以前の問題だと、私は思います。
もし勝利を最優先、に置くのであれば、意識を向けるべきはネットを挟んだ対戦相手、なはず。
でも、それが出来ないんですよ。
皆さん、自分に興味津々、ですからね。
2.試合に勝つ、泥臭くても勝つ覚悟はあるか?
今日、私もベイビーステップの新刊を買って来ました。
あのマンガ、すごく疲れませんか・・・?
主人公が勝つ、楽に勝つ試合なんてまず無い。
毎回苦労に苦労を重ねて、泥臭く、勝っていく。
これは、漫画の世界だけ・・・の話でしょうか?
主人公が実践しているテニスは、誰もが出来そうで出来ない、やりたくないテニス。
自分が泥にまみれる、ことって・・・やっぱり出来ないんですよ。
私が思うに、個人スポーツの弱点、盲点がここにあると思います。
3.汚れ役がヒーローになるのは、チームスポーツだけ・・・?
粘る、メンタルが強い、泥にまみれる・・・。
そんなプレーって、特にチームプレーだと欠かせない、影の立役者的な感じでヒーロー扱いされる。
でも、テニスのような個人戦だとどうですか?
相手の隙を突く、ひたすら粘る、泥臭く勝つって・・・何だか低く見られている。
確かに、誰だってフェデラー選手のような華麗なプレーがしたい。
でも、それって危険だと思いませんか?
「自分を上手く見せよう」
「キレイなテニスで、試合に勝とう」
と、し過ぎるような危険因子を含んでいる。
もちろん、お手本にすべきプレーはたくさんあります。
でも同時に、自分を大きく見せよう、という甘い誘惑にも誘い込まれそうな・・・そんな気がするのは、私だけでしょうか。
誰だって、華麗にキレイにプレーしたい。
テニスもスポーツ、遊びですから、好きにやって良いと思う。
高校生の自分に、今日書いた文章を見せてあげたい。
だから、私からは何も言えません・・・が、これだけは言えます。
泥にまみれるテニス、最高にカッコイイと思いますよ。
今回のまとめ