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偉そうに書いても、私もそうでした。
結局自己満足なんですよね。
今なら、分かります。
練習時間が短くなったからこそ、出来ること、変わっていくことがある。
社会人になって感じること、書いてみたいと思います。
「練習の為の練習」しか出来ないテニス選手が、日本には多すぎ
■練習が上手くなることと、試合が強くなることは違う
練習が上手くなる。
これって、当たり前の話。
だって、「同じこと」を繰り返す訳ですから、それは動作として上手くなっていく。
多少打ち合う相手が変わっても、一緒に練習するメンバーは10人くらいですよね。
やるメニューだって、大して変化も無い。
でも、試合ではこれの逆の現象が起こる。
打ち合う相手は初めましてだし、どんなラリーになるかも分からない、駆け引きとポイントの奪い合い。
試合が強くなるとの、練習が上手くなるのとは大きく違う、のがテニスです。
■ミスを責めない精神が、当たり前の日本
改めて思うのが、練習って楽じゃないですか。
だって失敗しても失点、という訳じゃないし、そんなに怒られることも無い。
厳しい顧問の先生やコーチがいる?
でも、それもどこか慣れて来るし、そんな指導者がいるテニスチームなんて日本では数えるほどでしょう。
自分で自分のミスを責めることが出来ないと、練習はいつまでたっても練習の為の練習でしかない。
試合との大きな違いは、ミスが即失点になり、失点を重ねると「負け」という結果になる、ということなのです。
■精神的な負荷の無い練習とは、永遠に「練習」の域を出ない
精神的な負荷は、練習に必要。
簡単な例は罰ゲーム、のようなペナルティですが、でもそれだと・・・どこか物足りない。
「罰ゲーム、すれば良いんでしょ」という感じで、これも慣れてしまう。
自分で自分に精神的に負荷をかける、工夫はどんなことが出来るでしょうか?
私は少ない練習時間で、なるべく「恥ずかしかったこと」をノートに書くようにしています。
30歳超えてテニススクールやレンタルコートでやるくらいですが、自分が「今日のあれは、恥ずかしかったな・・・」と思うことは、残しておく。
そうすることで、次回の練習では自分に負荷をかけられる。
ちょっとした工夫は、自分自身でやっていくしかないんです。
練習の為の練習、にまずは気付くこと。
どんなに工夫しても、試合のような緊張感や負荷は超えられない。
かも知れないけど、そこに近付ける工夫は大事。
毎日テニスが出来る、時間と場所がある学生の皆さんだからこそ、考えて欲しい問題だと思います。
昔の自分に向けて、自戒も込めて。